のんびりmathematicー数学主婦のブログ

大学院まで数学を専攻していた主婦によるのんびりブログ

本ブログのやくわりなど

色んなところで数学を、「出たとこ勝負!」で教えている主婦のブログです。
大学院まで数学を専攻してましたが、数学者ではないので、よく間違え、よく見誤ります。ごめんなさい。
 
〈やくわり①〉
私の「ネタ帳&備忘録」として。
ルーズリーフに「今日教えること」等をメモしておくのですが、毎回のように、そのルーズリーフメモを「教えてる相手に差し上げてしまう」癖があります。なので、これはもうwebの力を借りて記録するしかないと思いました。
 
〈やくわり②〉
あわよくば誰かに見て頂いて、あわよくば誰かの役に立ってほしい。
特に、様々な事情で学校や予備校等に通えない人、学び直しをしてみたい人などに向けて書きたいと思います。
 
〈やくわり③〉
ねこの写真等も、載せたいです。
 
 
2017/09 まずは、高校数学を中心に整理していこうと思います。

2017/10/20 今日の数式

教育について考えさせられた今日。

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きれいに素因数分解できちゃう10/20

 

**---学びと宣言---**

 

「先生」でなく「数学が好きな人」でいよう。

 

数学という「教科」だけでなく、数学という「学問」も伝えていきたい!

 

教える「行為と内容」だけでなく、「場と関係性」も、すごく大事にしよう。

 

苦手なことは、年齢関係なく他者から教わろう。教えてもらおう。もちろん子どもからも。

弱さも見せる。

 

一緒に過ごした時間が、20年後くらいに、頭の片隅で思い出してもらえる存在になれたらいいなあ。

 

一年に一人だけでいいから、ほんの少しでもポジティブな影響を与えられますように。

2017/10/19 今日の数式

思い悩む女子と話しました。

揺れるよね。

 

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きっと光は刺すよ。

孤独に見えるけど、待ちましょう。

思ったより未来はあたたかいのだ。

未来には奇跡が起きるのだ。

 

幸あれー!

 

2017/10/17 今日の数式

保育園の園長さんなどから、教育のいろんな話を聞いた昨日。

 

子どもたちが、すくすくあたたかく育っていきますように。

それを育み支える大人たちも、あたたかく生きていけますように。

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手をつないでこう!

愛よ届け!

中学校までは数学が得意だったあなたへ

中学校までは数学が得意だった。

と、よく聞きます。

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今年入って、何人に言われたか、わからないくらい、よく聞きます。なので、とてもよくある現象なんだと思います。

 

この「中学校までは数学が得意だったのに、高校の途中からわからなくなって…」とおっしゃる方たちって、みなさん素晴らしい方なんです。

 

お仕事頑張っていたり、お子さんを育てていたり、社会的な活動を頑張っていたり…

地に足をついて、しっかり社会で生きてるなあって感じがする素晴らしい方ばっかりです。ぐーたら主婦である私は、尊敬してます。

 

逆に、数学科にいた学生や先生は「この人たち、一体どうやって生きていくんだ…」と思い悩んでしまうほど不思議な人たち大集合だワイワイみたいな感じで(特に先生の方)、それはそれで面白かったんですが、まあ、とにかく不思議な人たちでした。

(この不思議な人たちエピソードも、いつか書きます)

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というわけで、この「中学までは数学が得意だった」現象を分析していきたいと思います。読むの面倒だな…と思った方は、「9.だから三角関数は難しい」から読んでみてください!

 

1.学校で暴れてしまうAくん

本論から外れた話から始めます。すみません。

 

大人になってから「色んな角度から物事を見なさい」と、よく言われます。

私はそういう器用なことは一切できませんが、「確かにそうだよなー」と思うんです。

 

例えば、学校で暴れてしまう傾向があるAくんという小学生がいるとします。

先生たちは、「Aくんは悪いことをしている!やめさせなければ!」と思って、叱ったり怒鳴ったり、放課後に呼び出して説教したり、長文の反省文を書かせたりしていましたが、一向にAくんがおさまる気配はありません。

そんなある日、担任のB先生は、家庭訪問に行って大変な事実に気づきます。Aくんの家は荒れ放題で、実はAくんは給食以外、何も食べずに毎日を過ごしていたのです……

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福祉や教育の勉強をすると、こういう話は多々ケーススタディとして出てきますよね。

「学校でのAくん」だけに注目していてはダメで、「家庭でのAくん」も知って、初めて色んなことが浮き彫りにされてくる、という。

 

私は専門家ではないので、「こういうケースは○○するべきだ」とか、そういうことは何も言えないのですが、「Aくん」という人を、色んな角度から見ることは、かなり大切だなあ、とは思います。表層上のことだけでなく、それ以外のことを知ろうとするのって、労力がいるし、私にはうまくできないけれど、とっても必要で大事なことですよね。

2.代数・幾何・解析

急に数学の話に変わります。すみません。

 

大学に入ると、大まかに言って、数学は「代数・幾何・解析」という三分野に分かれます。それぞれ、中学・高校数学に準えて簡単に言うと、

 

代数因数分解・方程式など

幾何:合同・相似・図形の性質など

解析:関数・グラフ・微分積分など

 

です。(※大学からは、各々若干イメージが変わります)

 

重要なのは、三分野がハッキリクッキリと分かれているわけではなく、密接に関わりあっている点なのです。

3.ζ関数は架け橋

大学院時代、「夏季講習」的なものを受けたことがあって(普通に大学で実施されるもの)、私のような人には難しくって何のこっちゃわからない授業だったのですが、唯一覚えているのが、

 

「ζ関数は、代数と解析の世界を繋げた」

 

という話なんです。

素数の研究って、「代数学」の分野のお家芸みたいなものなんですね。

一方で、ζ関数という「解析学」の研究対象として捉えられるものが、なんと不思議なことに素数とすごく親和性が高くって。そのために、代数と解析の世界を繋げる架け橋みたいになった、ということらしいです。

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なんか夢みたいで、素敵な話ですよね。ζ関数は、虹の架け橋…みたいな。

4.ζに苦しめられる私

しかし、一方で、私のような才能のない愚か者にとっては、「代数と解析が繋がる」っていう話は、決して幸せな話ではないのです!!!

代数学系の研究室に在籍していた私は、ζ関数と対峙する度に、専門ではない解析学の本を引っ張り出してこなくてはならない…という状態に苦しみました。

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もちろん、代数も解析も「数学」という同じ枠の中に存在するものなんだけれど、別々に発展して追及されてきた知識とか技術が、わんさかあるんです。

 

喩えて言うならば、

ピアニストが、ギターも弾けなきゃいけない

サッカー選手が、野球もできなきゃいけない

みたいな状態に陥ったという…。

どちらも「楽器」だけど、色々違う。どちらも「スポーツ」だけど、色々違う。

 

もちろん、「全く触れたことない」って人よりは、できるかもしれないけれど、それでも、かなり大変なわけです。つらいです。ぜつぼうです。

5.三角関数の難しさ

急に、高校数学の話に変わります。すみません。

 

三角関数で挫折した!!」って声を、それはもう頻繁に聞きます。

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色々と挫折を促す要因はあると思いますが、

少なくとも、三角関数の単元って、代数・幾何・解析の全視点を踏襲し、極めて意識的に切りかえる力を必要としているなあって思うんです。

 

「式です!変形しましょう!合成しましょう!」(代数)ってときと、

「単位円です!直角三角形です!角度に注目!」(幾何)ってときと、

「グラフです!うねうねです!最大値は?最小値は?」(解析)ってときと、

 

それぞれが、入り乱れて存在しているわけです。

三角関数は、「単位円の座標から、sin cosを定義する」という、たった一つのシンプルなスタート地点から始まるのですが、そこから世界は広がりまくり、広がりすぎて、色んな視点で様々に眺められる、そんな豊かな世界になっちゃったんですね。

 

そのため、世界を認識するのに、あっちから見て…こっちから見て…とコロコロ視点を切りかえなくてはならない。それは、もう大変で、大忙しです。

6.Aくんを見つめる覚悟

暴れてしまうAくんの話に戻ります。すみません。

 

家庭訪問をして、「家庭でのAくん」という新たな視点を持ってしまったB先生。たぶん、家庭訪問の後、B先生は大いに悩み、そして、考えるのだと思います。

考える内容の詳細は、B先生自身しか知りえないかもしれません。でも、B先生が「悩んで考える」ということは、ほぼ確実だと思うんです。

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それは、「学校でのAくん」という層と、「家庭でのAくん」という層の二つを知ってしまったから、その二つが重なり合い、干渉し合った「新しい層」に対し、思いめぐらせなくてはならなくなるからだと思います。

そして、その重なり合った「新しい層」は、「単純ではない」ということをB先生に気づかせていきます。そして、「今までより、もう一段深く考えなさい」と教えてくれるはずです。

 

それを引き受けるB先生には、恐らく、とっても大きな覚悟が必要なんだと思います。

7.色んな角度から物事を見なさい

そんなわけで、「色んな角度から物事を見る」というのは、

物事の深淵さに気づくこと

に繋がっていくと思います。

 

ある視点で見て認識できたことの層と、別の視点で見て認識できたことの層が、重なり合い、干渉し合い、「新しい層」ができる。その「新しい層」は、今まで見てきた層より、もう一段深くにあるはずです。ふしぎなグラデーションを持ちながら。

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そして、「新しい層」は「もっと深く考えなさい。そんなに単純じゃないから。」とピリリとした空気で教えてくれます。

Aくんの例の場合は「大変だ…どうにかしなきゃ…」という感じになりますが、それが学問的な対象の場合、「難しい。でも、面白い。」をググッと引き出してくれるように思います。

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ガリレオ先生の「実に面白い」ってやつですね。

8.B先生の覚悟

B先生は、覚悟を決めたら、「家庭でのAくん」のことも知ろうとすると思うんです。

でも、B先生は、「学校でのAくん」は、よく知っているし、知りやすいけれど、「家庭でのAくん」を知ることは難しいはずです。

 

こんな風に「新しい別の視点」を着実に得ることは、結構大変だと思います。特に、その「新しい別の視点」が、親しみのない視点である場合は、余計に大変です。

 

それは、私がζ関数と対峙するとき、慣れてない「解析学」の文献を引っ張りだして、「ひーひー」苦しんでいたのに、少し似てる感じがします。

 

「新しい視点の必要性」から、ピリリとした「深淵さ、難しさ」を予感し、そこから「対象と対峙しよう」と覚悟を決めたら、まずは「新しい視点の着実な獲得」にしんどさを感じる。まだまだ、やることはたくさんあるのに、この時点で既に大変です。

9.だから三角関数は難しい

AくんとB先生の話から、長々まわりくどく説明しましたが、

「色んな視点で見る」ことが必要になると、一気に大変になる

ということが伝えたかったのです。

 

代数・幾何・解析という3つの視点が重なり、干渉し合い、ふしぎなグラデーションをつくっているのを、じっくり眺めなきゃならなくなる。

そんな大変さが、数学Ⅱ(三角関数を含む)くらいから、ハッキリと表出してきます。

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中学数学であっても、「色んな視点で見なきゃいけない」ケースはありますが、「定期試験」というレベルで言えば、一つの視点だけで解けてしまって、点数が稼げてしまうケースが多いと思うんです。

方程式を解く問題!相似の問題!グラフの問題!みたいに。一つの方向からだけで戦えちゃう。

 

でも、高校数学からは、「3つの視点で見てくださいね」と徐々に徐々に要求され始め、しかも、その声がどんどん強まっていくので、大変なのです。

 

繰り返しになりますが、

「新しい視点の必要性」から、ピリリとした「深淵さ、難しさ」を予感し、そこから「対象と対峙しよう」と覚悟を決めたら、まずは「新しい視点の着実な獲得」にしんどさを感じる。まだまだ、やることはたくさんあるのに、この時点で既に大変です。

 

覚悟を決められなかったり、しんどさに負けてしまったりしたら…

その時点で「諦める」という結果になってしまうのです。

10.高校数学を諦めた人へ

たぶん、高校数学を諦めた人って、要領がいい人だと思うんです。現実世界を、しっかり生きれらる強さがあって。本当に羨ましいです。

 

要領がいい人の長所って

厄介なことを、一旦傍に置いておける

ところだと思います。細かいことは置いておき、先に進め、より速く結果を出せる強さ…素敵です。素敵すぎます。

 

たぶん、「高校数学がわからない」っていうのは、その長所が、少し裏目に出てしまったんだと思います。

高校数学の途中から、「厄介なことを、傍に置かない。疲れるけど、考えてみよう。」みたいなことが必要になってきてしまうから。

 

要領のいい人って、やる気出せば、できちゃうと思うんです。でも、コスパを算出して「やらない」って判断を下せる。

 

理系分野のことに詳しい人は、よくご存知だと思うんですが、数学の勉強や研究って、異常なまでにコスパが悪くて大変です。労力と時間を多量に要するのに、結果がめちゃくちゃ出にくい。

「やらない」と言える人は、それをちゃんと予見してるのかもしれません。

 

中学と違って、高校に行けば、ハッキリと文理選択ができるから、「私はもうこれ以上、数学をやりません!」っていう生き方も、当たり前に認められることです。

何の問題もないわけです。

 

「厄介そうだし、なんか難しそうだし、面倒だし、コスパ悪いし、やらない」を選んでOKで、何も悪いことではありません。

 

でも、

でも、

でもですよ、

大人になると、「厄介な難しさから引き出される、何とも言えない面白さ」を味わえるようになってくるじゃないですか。

 

だから、たぶん、今なら三角関数、楽しいと思いますよ!

 

重力波の研究もノーベル賞とりましたし…

電気も音も磁力も光も波ですし…

世の中全て波だらけですし…

「波」のことを知るなら、まずは三角関数と仲良くするのが良いんじゃないかなあ、と思います。

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理系じゃなくても、一般向けのサイエンス関連の文献・TV番組・ネット記事を見たり読んだりする方って、とても多いですよね。それも、「面白そう!」ってワクワクしながら。

 

そのワクワクに、ぐぐっと深みを出すために、サイエンスの母国語である数学について知ったり学んだりするのって、とてもとても良いんじゃないかなあ…って思うんです。

そして、そういう深みに触れながら得た知識が「教養」と呼ばれるモノなんじゃないかしら…とも思ってます。

 

なので、良かったら、もう一度、三角関数にチャレンジしてみてください!

三角関数ブログ、ぼちぼち書きます…!!

 

(私も、もう一度、ζ関数を学んでみようかなあ…)

 

要領が悪い私も少しずつがんばるので、

あたたかな教養を、のんびり身につけていきましょう♡

 

(おしまい)

 

【三角比】sin cos tanと仲良くなろう①~木の高さは?

書こう、書こう!と思っていた

「三角比&三角関数

です。

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まずは三角比から始めていきます。

最終的に、オイラーの公式の話まで飛んで行けたら良いなって思ってます!

 

高校時代に、サイン・コサイン・タンジェントで挫折した方も、ぜひ読んでみてください!!もちろん、受験生も!!

 

※理系陣が読むと、「そんなの知ってるわ!」的な話が多くなると思いますが、サイン・コサイン・タンジェント布教活動の一環なのでご協力ください。

 

何回かに分けて書こうと思います。長編になりそう…。

1.はじめに

本題に入る前に、少しだけ、変な話をさせてください。

 

それは、「わかった!」という感覚についてです。これについては、また詳しい記事を書きたいので、今回はショートバージョンで記しておきます。

 

この「わかった!」の感覚に対して、意外にも多くの人が無頓着な感じがするんです。

すごく、なんともいえない難しい感覚だと思うし、心理学とか脳科学の研究してる人は、これに関して色んな研究結果をご存知なんだろうなあ、と思います。

 

サイエンティフィックなことは全然わからない主婦なので、経験則・数学者から聞いた話・数学者の本を判断材料に「わかった!」の感覚を考えてみることにしました。

その結果、以下の現象が起きたときに「わかった!」となりやすいのではないのか!?という仮説が出てきました。

 

①証明が理解できたとき・証明できたとき

②慣れたとき・刷り込まれたとき

③何に活用できるのか等、背景を知れたとき

④第六感的なものが働いたとき

 

三角比&三角関数の場合、③を満たせば、一気にわかりやすくなると思います!

①は教科書にしっかり書いてあるし、②は問題集を解いて頑張ってもらうしかないので、その辺りのことは素晴らしい書籍たちにお任せしていきたいと思います。

④については…フィールズ賞受賞者の小平邦彦さんのエッセイ『怠け数学者の記』を読んでみてください。視覚や触覚ならぬ「数覚」という、第六感的なものがあるらしいです。

怠け数学者の記 (岩波現代文庫)

怠け数学者の記 (岩波現代文庫)

 

2.sin cos tanのわかりにくさとは?

サイン・コサイン・タンジェントって、わかりにくいものの代名詞だと思うんですけど、何でわかりにくいのかと言うと、たぶん、「出会い方」のせいだと思うんです。

 

超唐突!!!

なんです。

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パンかじって走ってたら、曲がり角で、転校生とぶつかる以上の唐突感あると思います。(それもそれでワクワクしますが…)

 

サイン・コサイン・タンジェントが出てきたときって、「なにこれ、こいつら何なの!?」って思いませんでしたか?

全然知らない人から急に話しかけられたら、驚くのと同じです。でも、その人の名前とか、職業とか、人となりとか、急に話しかけてきた理由とか、そういうものを知って、「悪いやつではなさそうだな…」とわかれば、安心して「ちょっと仲良くしてみようかな」となるはずです。

 

そんなわけで、「sin cos tan…こいつら何なの!?」を探ってみたいと思います。仲良くなってみましょ。

 

3.庭の大きな木

最近は、マンション住まいの方も多いと思うんですが、実家が一軒家だったりすると、庭に「大きな木」って一本くらいありませんか?

ちなみに、私の実家には、ビワの木があります。

 

突然ですが、

 

「庭の大きな木が何メートルの高さなのか」

 

って、測ったことありますか?

私は、一度もありません。

 

では、ここで問題です。

 

【問題】

あなたの家の庭に大きな木があるとします。大人でも、見上げるくらいの大きさがあります。

その木の高さが何メートルか知りたいです。あなたはどうしますか?

 

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ちょっと、じっくり考えてみてください。

お子さんがいる方は、良かったら、一緒に考えてみてくださいね!

 

4.木の高さの測り方

きっと、色んな方法があると思います。

私の思いついたものを書いてみますね。他にもあったら教えてください!

 

①木に登って、上からメジャーを垂らして測る

これ、一番確実かなあ…大変だけど…。

果たして一番上まで登れるのだろうか?などなど、問題はありますが、うまくいけば楽しそうだなあ、と思いました。

久々に木登りしてみたい。

 

②木と並んで写真を撮影する

①よりも、現実的な方法を考えてみます。

木と私が並んでいるところを写真に撮ってもらえば良いのではないか?と思ったのです。

写真に写っている木と私、それぞれの長さを定規で測ります。

実物の木と私は結構デカいので、定規で長さを測るのは大変ですが、写真に写っている木と私ならば測れます。

そして、私の身長は160cmとわかっているので、比の計算をすれば、木の高さはわかりますよね。

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③影の長さを測る

「木は登るの大変だな…」と思うので、地面で何とかしたいなあ、と思いました。

影であれば、地面に存在してくれるので何とか長さを測れそうですよね。特に、太陽が南に近い時間ならば、陰の長さも、長すぎずにすみそうです。 

木の陰の長さを測って、そして、私の陰の長さも測ります。

すると、私の身長は160cmとわかっているので、三角形の相似で、木の長さは計算できますね。

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5.比と角度のありがたさ

①の方法は大変で、②③の方法が、なぜ現実的なのかというと、それは、

 

比と角度のおかげ

 

なのです。

 

どういうことかと言うと、「長さ」というものだけに着目してしまうと、いくらでもスケールが大きくなってしまうんですよ。

1メートル、1000メートル、1000000000メートル、10億光年などなど…。

人間のサイズを遥かに越えた大きなサイズになってくると、私たちには「長さ」が扱いにくくなってしまうのです。メジャーや定規で太刀打ちできない。木の高さのように、頑張れば測れる長さだったとしても、何らかの危険が伴うなどの測りにくさが生じることもあります。

 

しかし、

 

比や角度はスケールによらない

 

のです。

 

例えば、直角二等辺三角形の三角定規ってあるじゃないですか。

1:1:√2で、90° 45° 45°のアレです。

正方形を対角線のところで半分に折ったアレです。

鶴を折るときの第一段階のアレです。

それを、ちょっと頭に思い描いてください。

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そして、

 

・三角定規サイズの直角二等辺三角形

・黒板に目一杯大きく描いた直角二等辺三角形

・校庭に目一杯大きく描いた直角二等辺三角形

・東京ドームに目一杯大きく描いた直角二等辺三角形

サハラ砂漠に目一杯大きく描いた直角二等辺三角形

 

を想像してみてください。

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全部、長さは全然違いますよね。スケール感が全然違います。サハラ砂漠のやつなんかは、「どうやって描くんだよ」って思います。

 

でも、全部、直角二等辺三角形であることには変わりません。1:1:√2で、90° 45° 45°であることは、どれも同じなんですよ。当たり前ですけれど。

 

これが、中3で習う相似のスゴいところで、強味です。

「角度や比は、どんなスケールでも変わらない」ということです。

 

だから、「あ、これ、スケールでかすぎて扱いにくいな」とか「測るのが難しそうだな」と思ったら、同じ角度・同じ比に注目しながら、測りやすいようにスケールや対象を変換すればいいわけです。

 

特に、

相似は、「角度と比」両方の情報を含んでいる

ので、とてもとても便利に使えます。

 

「庭の木の高さを測る」ケースだと、

②については、「木は高くて測りにくいから、写真サイズにした」わけです。そして、比を利用しています。

③については、「木登りは危険だし、大変だから、簡単に測れる影にした」わけです。そして、相似を利用しています。

 

少しカタイ言い方をすると、

比較的容易に計測できる量を用いて、未知の量を計算する

 ということを行っているわけです。

6.②③の方法の困った大問題

ここで、ちょっと覆します。

 

読んでいて、

「うちの庭の木だと、②③の方法できません!」

と思った人、いると思うんです。

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例えば、木の生えている場所によっては、

「木と並んで写真が撮れない」とか「影がキレイにうつらない」とか、そういうことがあり得ると思うです。

他にも、いちゃもんつけてみると…

②の場合、カメラが絶対に必要ですよね。今の時代ならば、スマホを持っている人が多いので、簡単にできますが、20年くらい前は「いつでもどこでも必ずカメラがある」っていう状態ではないわけです。

あと、③の場合、天候に左右されます。曇りや雨が続くと、難しい方法です。

 

つまり、

②③は強めの制約条件に縛られる

ということです。

 

では、どんな方法が良いでしょうか?

②③よりも、「これは良い!」って思える方法はないでしょうか?

 

7.今回のまとめ

今回はここまでにします!

長くなったので「まとめ」です。

 

【まとめ】

○長さはスケールの影響を受けるが、角度と比はスケールの影響を受けない。だから、角度と比に注目すると、とっても便利。

○特に、角度と比両方の情報が入っている相似は、とってもとっても便利。

○これらは、比較的容易に計測できる量を用いて、未知の量を計算することを可能にする。

 

【宿題】

あなたの家の庭に大きな木があるとします。大人でも、見上げるくらいの大きさがあります。その木の高さが何メートルか知りたいです。あなたはどうしますか?

※できるだけ現実的かつ汎用性の高い(色んなケースに対応できる)答えを探してみてください!

 

次回から、少しずつ三角比の世界に入りたいです。

 

(つづく)

先生は「なんでそうなるか」教えてくれなかった!?

先生は「なんでそうなるか」教えてくれなかった。

 

と、特に、大人の方からよく聞きます。

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数学の授業で、たくさん問題を解かされたり、計算させられたりしたけれど、「なんでそうなるか」を、先生は教えてくれなかった、ということらしいです。

 

三平方の定理を使えるけど、「なんで三平方の定理は成り立つのか?」はわからないで使ってました。先生は教えてくれませんでした!

だから、数学の勉強が面白くなかった!

 

とのことです。

 

この、頻繁にあるらしい

「先生は、なんでそうなるか教えてくれなかった現象」

を、分析してみたいと思います。

 

1.私の予想:先生は教えていたはず

結論から言うと、たぶん先生は教えていたと思うんです。

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 もちろん、高校数学の範囲では説明しきれないものもあるので、そういうものは飛ばしたり、お茶を濁したりするしかないのかもしれませんが、ある程度、説明できるものはしているのではないのかなあー、と予想しています。 

 

なんで、私がそう思ったかというと…

 

まず、「なんでそうなるか」というのは、数学で言えば「証明」のことなわけです。

証明が理解できれば、「なんでそうなるか」は、わかります。

 

つまり、

 

先生は「なんでそうなるか」教えてくれなかった

 

というのは、

 

先生は、定理や公式の証明をしてくれなかった

 

と、言い換えられると思うんです。

 

でも、さすがに、「一切証明しない先生」って、なかなかいないと思います。

もちろん、「この証明は難しすぎるから、うちのクラスの生徒は理解できないかも…。簡略化したり、飛ばしたりしておくか」みたいな、先生の判断はあるかもしれないですが、「一切証明しない」ってことは、ないんじゃないかなあ、と思うんです。

 

もし、万が一、「一切証明しない先生」がいたとしても、教科書には、定理や公式の証明が、掲載されています。なので、教科書さえ持っていれば、読もうと思えば、いつでも読めるんですよね。

 

なので、多くの場合、先生は「なんでそうなるか」教えているはずだし、生徒は「なんでそうなるか」知ろうと思えば、いつでも教科書を通して知れるわけです。

 

では、なぜ、先生は教えていたのにも関わらず、「先生は、なんでそうなるか教えてくれなかった現象」が多発してるのかを考えてみたいと思います。

 

2.証明は退屈で難しいもの

やっかいなことに、この「証明」というのが、多くの場合、退屈で難しいんです。

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個別具体的な感動ストーリーではなく、抽象的かつ一般的な話ばかりで進んでいき、人間も動物も花も土も空気すらも出てこない、いっさいの具体的なモノが何も出てこないのが証明です。数と記号の羅列です。さらには、論理も緻密に積み上げなきゃいけない。その緻密さも、重箱の隅をつつくような緻密さなんです。「場合分け」のことを思い出してみれば、「重箱の隅をつつく」の意味が、少し感じられると思います。

 

数学好きにとっては、こういう話が大大大好物なんですけど、大抵の人にとっては、「退屈で難しい」そして「眠くなる」話なのです。

 

だから、聞いていても「よくわからない」し、そもそも「だるいし、聞きたくない」って思っちゃう人が多いです。

スーパー理屈っぽい抽象的な一般論を、長々と聞かされるって、しんどいじゃないですか。

 

そういうことって、聞いたり読んだりしても、全然記憶に留まらないと思うんです。一部の数学好き以外は。

 

なので、「先生は教えてくれなかった」のではなく、「なんでそうなるかの説明は、つまらないし、わかんない話だったから、記憶に残らなかった」が正解である気がします。

 

一方、問題を解いたり、計算したりしたことをよく覚えているのは、それが個別具体的な作業で、記憶に留まりやすかったのだと思います。

「できた!」「合ってた!」という達成感も抱きやすいですし。

 

3.難しいのも、数学のいいところ

ここから変な話をします。

実は、私、その「証明が難しくて、全然わからない」っていうのを「数学のいいところ」だと思ってるんです。すごくいいところだと思います。

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もし、数学の証明を「誰にでもわりやすい、やさしい表現」に、完全に変えてしまったら、「数学のいいところ」が、なくなってしまって、それは数学ではなくなってしまう気がするんです。

(だから、小学校で学ぶのは”算数”という名の教科なのかもしれません。)

 

抽象的で、一般的で、論理的で、普遍的で、緻密なのが、数学だと思ってます。そして、そのせいで数学は難しいです。

 

でも、そのおかげで、数学には高い汎用性があって、サイエンスに驚くほど役にたちます。インフラとして、みんなが安心して使えます。

 

少し話は変わりますが、「みんなが長く使うもの」って、つくるのすごく大変じゃないですか。難しいじゃないですか。

 

SEの人とか、めっちゃわかると思うんですけど、「みんなが何となく使ってるソフトウエア」を開発するのに、気が遠くなる労力を要してますよね。すごい大変ですよね。

 

他にも、家とか、道路とか、なんでもそうだと思うんですけど、「みんなが長く使うもの」をつくるのって気が遠くなるほど大変だと思います。あらゆる条件を緻密に考慮して、綿密に設計をして。

 

特に、「壊れても、買い替えちゃえばいいや」っていうものではなくて、「みんなが、できるだけ長く、良い形で使い続けられるように」という精神でつくるモノって、それは、もう”職人技”みたいなものが、必要になってくると思います。

 

そう考えると、「数学」は、全世界、全人類、時代をこえて永遠に使える道具として、存在し続けないとならないモノです。

だから、数学を裏付けるための「証明」というものが難しくて当たり前だと、私は思うんです。”職人技”のオンパレードで緻密で難しいです。厳しいものだと、「修行してから出直してらっしゃい!」って、読む人を跳ねのけてくる「証明」もあると思います。

 

その証拠に…

数学書というのは、定理等の結果&証明がダダダダーッと書かれているのですが、

この数学書って「1日1~3ページ」くらいしか、多くの人が読み進められないんです。数学が好きで、数学に慣れてる人にとっても、証明を読むのは、難しくて大変なことなんですよ。

詳しくは、この記事に書きました↓

 

4.ぜひ証明を読んでみて!

大人のみなさんにお伝えしたいんですが、その難しい証明を、良かったら読んでみてほしいんです。

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10代の頃に出会ったであろう三平方の定理とか、円周角の定理とか、有名な定理の証明なら、結構ネットに落ちてます。良かったら、中高教科書も、一冊だけ買ってみてください。教科書は、とっても安いです。

 

たぶん、証明を読んでみると、思った以上に「わかった!」ってなると思うんですよ。

さらに言えば、もし、わからなかったとしても、「わかんないなあ」っていう感覚も、余裕を持って楽しめるようになってると思うんですよ。

 

私みたいな人が偉そうに言うのも変ですが、大人のみなさんって、人生経験豊富で、中学生や高校生だった10代のときより、色んなことを考えられるようになってると思います。

 

きっと、生きてきて、難しいこととか、大変なこととかあって、それらに何らかの決断や選択をしてきたわけですよね。苦労がたくさんある中で、考えて、考えて、そして生活してて。それはすごいことで、その中に尊い思考がいっぱい入ってると思うんです。

だから、10代のときには、わからなかった色んなことが、今ならわかってきているはずです。

 

たぶん、今なら証明を読んで、理解できることがたくさんあると思います。「意外とわかる!」と、ぜひ自分に感動して、驚いてください!

 

そして、今、まさに数学を勉強中の10代の方も、問題演習に慣れてきたら、定理や公式の証明を一読してみてください。最初に証明を読んだときよりも「よくわかる!」と驚くと思います。 読んでみて、「まだ、よくわからないなあ」と思ったら、また問題演習に戻って、しばらくしたら、もう一度読んでみてください。ぜひぜひ。

受験が終わっても、良く分からないなあ~と思うことがあったら、5年後、10年後に、また考えてみたら素晴らしすぎる発見があると思います。そして、それは宝物になります。かならず。

 

ぜひ、証明の良さを、しみじみのんびり味わってみてください。 

 

5.東大の入試問題のこと

昔、東大の入試問題に、「三角関数の加法定理を証明せよ」や「円周率が3.05より大きいことを証明せよ」というのが出て、話題になりました。

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「わー、素敵な問題だなあ」と、思う反面、自分が受験生だったら、ドキドキするな…とも思いました。

 

なんというか、「あなたは、数学と向き合いましたか?」と、腰を据えて、どっしり尋ねてくるような入試問題で、とっても挑戦的で面白いなあ、と思うんです。 

6.さいごに

中高の数学って「全部わからなきゃ…」「解けないと…」って、すごく焦って勉強する人が多い気がしますが、「わからなかった」「解けなかった」部分が、結果として残ってしまっても良いと思います。

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それを覚えておいて、5年後、10年後、20年後、30年後に、アルバムのように眺め直して、「ああ、今ならわかるなあ。そういうことだったのか」って、しみじみ実感する時間を過ごす人がいたとしたら…

それは、その人にとって、宝物のような時間になるんじゃないかしら…

 

と想像すると、にやにやが止まらない幸せな気持ちになってしまいました。

 

(おしまい)