のんびりmathematicー数学主婦のブログ

大学院まで数学を専攻していた主婦によるのんびりブログ

やりたい仕事のこと①~不登校から高校中退した私が早稲田に入るまでの話

前職の会社の上司が、今でも、とても良くしてくれています。

(私も、そういう人になりたいなあ)

 

その方に、

 

「やりたい仕事について、ブログに書いてみたら?」

 

と言われたので、「それは良いかもしれない」と思って、書くことにします。

 

あくまで私自身の「気持ちと頭の整理」をするために書くので、面白くなるかは、ちょっと謎です。

 

長くなりそうなので、ひとます第一弾。

まずは、私が「どんな過去を歩んできたのか?」について洗いざらい書いていきます。

 

原体験をベースに、「自分がやりたい仕事を洗い出す」という試みです。

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まあまあ濃ゆいです。

すごくすごく「洗いざらい」な内容なので恥ずかしいです。

良かったら、そして、気が向いたら、読んでみてください。

 

 

1.学校に行けない子ども

私は、学校に行けない子どもでした。

いわゆる「不登校」でした。

 

「なんで学校に行けなかったの?」

 

という質問に対して、掘り下げていくと、どこまでも色々書けてしまいそうなのですが、原因らしきものを二つ紹介すると、

 

①体調面

幼少期から、身体が弱かったこと。

 

バーンアウト

身体が弱いくせに、色々と頑張りすぎていたこと。

成績が良くて、さらに、厳しい&強い部活にも所属していて、気づくと、色んなプレッシャーでグチャグチャになってしまっていました。

 

バーンアウトが訪れ、すぽーーーんっと何もできなくなってしまい、

軽い引きこもり生活に陥ってしまいました。

中2のときでした。

 

2.なんで頑張ってしまってたのか?

小学校時代から、学校生活を、うまくこなせていなかった私は、

 

「学校というのは、たくさん良い評価を貰って、味方をつけて、カースト最下位に陥らないよう細心の注意を払わなければならない場所である」

 

ということを学習してしまっていました。

 

今となっては、

「全然そんなことないよ、等身大で過ごしても良いんだよ!」と、当時の私に声を掛けてあげたいのですが、これが中学生の私のハッキリした悲しい実感でした。

 

だから、「勉強も部活も、完璧にやらなくては!!」と、必死でした。

 

しかも、「勉強と部活を頑張る」って、一般的に言って「良いこと・褒められるべきこと」ですよね。

 

だから、周りの人は止めません。

 

「すごいね!次も頑張ってね!」「もっと、できるよ!」と言われた私は、ますます頑張ってしまうのです。

 

3.勉強が嫌いだった

今は、こんな数学ブログを書いてるくらい数学が大好きなんですが、

中学生のときは、

 

「成績は良いけれど、勉強は大嫌い」

 

な子どもでした。

 

当時の私にとって、勉強というものは、あくまでステータスを得るためのツールでしかありません。

「学んだ内容」なんかどうでも良くて「順位と偏差値」だけを気にしていました。

 

スクールカーストでの位置づけや、先生からの高評価を維持するためだけに勉強していたのです。

 

なので、勉強自体は、疲れるだけで、全然好きではありませんでした。

 

4.高校中退へ

そんなモチベーションで、勉強やら部活やら頑張っていたら、当然疲れます。

しかも、元々、身体が弱いので余計です。

 

ある日とつぜん、電池が切れたように、バタンッとなって、

心から

 

「もう何にもしたくない」

 

って、思いました。

 

そこから学校に行かず、

多少遊びに行ったり、習いごと(ピアノ)は続けたりはしつつも、

決して元気にハツラツと過ごしているわけではなく、軽い引きこもり状態になってしまっていました。

 

そんな中、なんとか高校に入れてもらったのに、結局そこも通えず…(入れてくれたのに、申し訳ない…)

 

高校を中退してしまったのです。 

15才のときでした。

 

勉強もできない。社交性もない。何にもない。

やばいです。

 

5.なぜか元気に

そんな、かなり「やばい状態」だったのですが、中退が決まったとたん、

なぜか、晴れ晴れとした気持ちになったのです。

 

「あ、もう、学校行かなくて良いんだ」と思ったら、すっごく自由な気持ちになってしまいました。身体がフワッと軽くなったような。

 

そして、中退後すぐに、高卒認定試験(※正確に言えば、当時は「大学入学資格検定試験」という名前でした)の勉強ができるフリースクールを、自ら探し始めたのです。

 

6.一つ目の奇跡

あちこち見学に周った結果、あるフリースクールに通うことに決めました。

 

そして、私は、二つの「奇跡的な体験」をします。

 

一つ目が、

 

「私、ここにいて良いんだ」

 

って、初めて思えたことでした。

 

「がんばらなくても、成績が良くなくても、ここにいてOKだよ!って思ってもらえる場所があるんだ…」と感じて、本当にビックリしたのです。

 

色んな人が、あたたかく迎え入れてくれて。

歌を歌ったり、ゲームしたり、トランプしたり、マンガ読んだり…

 

グダグダ過ごしていましたが、それでも、「一人で家にいたときのグダグダ」とは全然違うものでした。

心の凹んだところが、少しずつ治癒されていくようなグダグダでした。

まさに「安心して、お休みする時間」でした。

 

小中学校のときのことって、思い返すと、冷たいブルーと灰色なんです。

一方、フリースクールの日々を思い出すと、ぜんぶオレンジ色なんです。

 

それだけ、私にとって「あったかい日々」だったんだなあって思います。

 

7.二つ目の奇跡

二つ目の奇跡は、未だに信じられない奇跡です。

「本当に自分の身に起こったんだろうか?」と思う、信じられない時間が訪れたのです。

 

16才の4月。

 

「そろそろ、高卒認定試験に向けて、勉強しなくちゃなあ」と思って、授業を受けるようになった私。

試験は夏にあるので、その時点で半年切ってました。実は、ちょっとピンチです。

 

高卒認定試験自体は難しくないのですが、

「中2から全然学校に行ってない&全然勉強していない16才」が受けるとなると、それなりにハードルは高いです。

学力レベルで言えば、小6が高卒認定試験に挑戦するようなものです。

 

「さすがにやばいだろ」という状況。

 

そんな中、受けていた授業の一つに、「数学ⅡA」という授業があったんですね。

(ふつうの区分けなら「数ⅡB」ですが、当時の高卒認定試験では「数ⅡA」という試験科目があったのです)

 

この時代の高卒認定試験では、「数学Ⅰ」は必修科目で、「数学Ⅱ・数学A」は選択科目でした。

なので、「数学ⅡA」を受けている生徒は、ものすごく少なかったんです。

 

たった3人だけでした。

 

なんとなく、友だちにすすめられて受け始めた「数学ⅡA」の授業。

 

この授業が、運命の授業。

奇跡の時間、スタートです。

 

8.たった4か月、奇跡の時間

 先生は、40代くらいの女性。ひっそりとした美人な方。

いつも黒のスーツを着ていて、物静かでシャイな感じ。

 

「カリスマ予備校講師!」みたいな雰囲気は一切なく、授業は、静かに坦々と進んでいきました。

 

9:00頃からの授業。朝。

 

日差しが教室の中に差し込む中、たった3人だけが受ける授業。

 

幸か不幸か、その3人の数学レベルがバラバラだったので、授業は、実質マンツーマンで進んでいきました。

 

なので、先生は、

何かを説明するとき、黒板を使いながら、一人ずつに説明してくれて、

私たちが問題を解いているときには、それぞれの席の近くまで来て、丁寧に様子を見てくれて…

 

そんな風に、静かに、あたたかに時間が積み重ねられていきました。

 

 

その授業の中で、すごく不思議だったのは、

 

「その先生が、何を言っているか、いつも理解できた」

 

ということです。

 

多くの人は、数Ⅱレベルになると、「概念を理解する」だけでも一苦労です。

三角関数、指数関数、対数関数ときて、さいごには微分積分があります。

 

さらに、この当時は、数Aに数列がありました。なので、シグマとかもやらなきゃいけません。

 

いくら高卒認定試験が難しくないと言えども、

小6レベルの学力の私には、さすがに、ものすごく難しい内容なわけです。

 

 

でも、わかったんですよ。全部。

 

先生の話は全部、ちゃんと私の頭に入ってきたのです。

なんというか、土に、しっとり新しい水が染み渡っていくように。

 

「気の利いた喩え話」とか、そういう技巧的なものは一切ない授業で、すごく坦々と、粛々としていたんですけれども。

 

でも、全部わかったんです。

 

そして、3〜4ヶ月の授業で、私は微分積分を理解できるようになりました。

 

高卒認定試験の数学IIAは満点でした。

 

9.数学が好きだ

私、この授業を受けてるとき、だんだん「ものすごく楽しい」って思うようになっていました。

 

式やグラフや図形が、流れるように繋がって、変わって…

「わあああ、なんて自由なんだ」

と思って、胸が高鳴るようになりました。

 

そして、

 

「私、これが好きだったんだ」

 

って、気づきました。

 

霧がパッと晴れて、目の前に日差しが入って、世界が明るくなる「好きだ」という気持ち。

 

そして、

 

「大学に行って、数学を勉強してみたい」

 

という夢ができました。

 

10.大学受験、そして、早稲田へ

そう思って、「大学受験しよう!」と決めて、勉強するようになって。

19歳のときに早稲田の理工に受かりました。(一浪の年齢のとき)

 

「学校に行かず、早稲田入るって、大変だったでしょ?」

と、言われることもあるんですが、それはもちろんそうで、確かに大変でした。

 

たくさん独学しなきゃいけなくて、けっこうな苦労をした気がします。

元々、頭の良い人間ではないので、それはもう大変でした。

 

 

でも、楽しかったです。

 

自分で決めたことだったから。

 

中学のときも、勉強してたけれど、そのときは「周りからの評価」のためだけにやってました。

 

でも、大学受験のときは「自分がやりたいから、勉強する」と思えていました。

 

不思議なもので、ちゃんと自分の意志や自己決定が伴うと、そのとき学んだことって、長年残るんですね。

 

数学に限らず、大学受験のときに学んだ色んなことを、今でも覚えています。

国立志望だったから、国語や社会も学びました。そういう文系科目のことも、すっごくよく覚えています。(全然できなかったけども)

 

そして、

「そのときに得た知識が、今の自分を支える教養になっている」

と感じます。

 

たからものです。

 

11.奇跡の授業の奇跡

この16才〜19才の3年間、本当に本当に不思議な時間でした。

 

好きなことが見つかって、

今の自分を支える教養を得て、

大学に受かった。

 

その起爆剤が、16才のときの「奇跡の授業」でした。

 

今、教育の仕事をしてるから、めちゃくちゃわかるんですが、この先生のやったことって、

「ありえないくらい難しいこと」

なんですよ。

 

・小6レベルの学力の私を、高卒認定試験に受からせたこと。しかも満点で。

不登校経験があり、気難しく人間不信な私に、諦めず関わり続けたこと。

・小6レベルの学力の私に、数学Ⅱの微分積分まで理解させたこと。

・さらに、数学を大好きにさせたこと。

・もっと言えば、私の人生が動き始めるスタート地点になったこと。

 

それを、3〜4ヶ月の間に成し遂げてしまった先生なのです。

 

ありえません。

 やろうと思って、そう簡単に、できることじゃあないです。

 

12.やさしさの種

その「奇跡の授業の先生」は、それはそれはもう、ものすごいと思うんですが、

でも、この話は、

「その先生だけがすごかった」という話ではないと思ってます。

 

フリースクールで知り合った人たちが、あたたかかったことはもちろんのこと、思い返せば、家族含め、それまで関わってくれた人たちも、少しずつ優しさの種をまいてくれていました。

 

一番覚えているのが、

不登校になった中2のときの担任の先生のことです。

 

この方も偶然にも、数学の先生。

女性でした。 

 

13.プリンの先生

若くて、美人で、パステルカラーのスーツをパリッと着こなす先生でした。

なんとなく「しっかりしている先生」という感じ。

 

その先生のことは、「好きでも嫌いでもない」と思っていて、どちらかというと「好きじゃないかも」と思っていました。

 

つまり、自分の中で「どうでもいい感じ」の先生でした。

 

しかし、その先生の印象が、不登校になってからガラッと変わります。

 

私が保健室登校をしてたときのこと。

 

先生が、

「内緒でプリン買って来たよー!一緒にたべよー」

って、保健室に遊びに来てくれました。

 

先生は、私の横に座って、「これ、私、すっごい好きなんだよね」とニコニコしながら食べてて。

 

その顔を見て、先生のことを好きになりました。

 

「この人は、私のことを思って、教壇を降りてくれたんだ」

ということが伝わってきたんです。

 

そこにいるのは、「担任の先生」ではなく、「プリンが好きな、お姉さん」でした。

生身で、接しようとしてくれてたのです。

 

14.あなたは数学ができる人よ

その先生は、ときどき、私に数学を教えにきてくれました。

 

ある日、問題を解いていたとき、先生に、

 

「あなたは、数学ができる人よ」

 

と言われました。

 

お世辞だったかもしれないけれど、未だに、そう言われたこと、そのときの感じを、よく覚えています。

だから、ある程度は「嘘じゃない言葉」だったのだと思うんです。

 

結局、その中学は不登校のまま終えてしまったけれど、

その先生の優しさとか、「数学ができる」と言ってくれたこととか、

ずーーーーーーーーーっと心に刻み込まれてます。

 

こういう色んな優しさが、積もり積もって、

きっと「奇跡の授業」のときに、臨界点に達して、私の人生は動き始めたのだと思います。

 

小さな小さな優しさが、たくさーーーーーーん積み重なって、何かが起きる…

これって、積分みたいですね。

 

15.やりたい仕事①

なんか、自分語りになってしまって、「やりたい仕事」の話に全然なってなかったのですが…

 

もう、ここまで語れば、あとはシンプルなんです。

 

やりたい仕事の一つ目が、

「奇跡の授業の先生になること」

です。

 

恐れ多いことなんですけどね…

 

いつも、「あの奇跡を起こすために、私には何が足りてないのか」って考えます。

 

たぶん、もはや技巧的な話だけでなく、人と関わるスタンスとか、まなざしとか、哲学とか、そういうところまで掘り下げなきゃいけないと思うんです。

 

でも、人生をかけてチャレンジしたいなって思ってます。

一生の中で一回だけで良いから、誰かに奇跡を起こしたいです。

 

16.やりたい仕事②

二つ目が、

「プリンの先生になること」

です。

 

言い換えれば、「優しさの種をまくこと」

 

「プリンを一緒に食べたこと」も、

「数学ができる、と言ってくれたこと」も、

全部全部、魔法だったんだなって思います。

 

効果が出るまで、ものすごく時間はかかるかもしれないけれど、魔法をかけ続けること。

優しさの種をまき続けること。

 

抽象的だけれど、こういうことを、やっていきたいなあって思います。

 

17.まとめ

もはや「仕事」という範疇を越えた話になってしまいましたが…

今やっている仕事においても、これら二つの要素のどちらかを、何らかの形で持っている仕事をお受けして、チャレンジするようにしています。

 

まだまだ全然なにもできないし、覚悟も足りていません。すごく怖がりで。

そんなダメな人間ですが、一生かけて、少しずつでもチャレンジしていきたいなって思ってます。

 

私は何の取り柄もないので、

「自分がやってもらって良かったこと」を、次の人に受け渡していくっていうことを真剣にやっていくしかないのだと思います。

 

そして、それが私の喜びであり、生きがいです。

 

18.さいごに

最後に二つだけ…

 

①第二弾について

もう少し、「やりたい仕事」について、ブレイクダウンした内容(具体的な内容)を書きたいなあって思います。

 

②本記事について

気づいたら、カミングアウト的な内容になってしまいました。ごめんなさい。

こういうことを表に出すと、何かしら批判も多いだろうなあって思ってます。

基本的には、自分のために書いた内容ですが、「読んでくれた人にポジティブな影響があれば良いなあ」と思っている気持ちは嘘ではありません。

 

この記事、 恥ずかしくなって、消しちゃうことがないと良いな…

 

それでは、また!!

 

(きっと、つづきます)