のんびりmathematicー数学主婦のブログ

大学院まで数学を専攻していた主婦によるのんびりブログ

塩狩峠レビュー~宗教と、数学と、ミルグラム実験の残酷さと、行動原理と

「数学は宗教だ」

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と、大学3年生のとき、ある授業で先生が言いました。

そのときのことは、10年以上経った今も、ありありと覚えています。

 

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数学は哲学だ、と言われるけれど違います。

哲学は、定義することを目的にした学問だからです。

 

数学は、定義から始める学問です。

定義から始めるのは、宗教です。

 

私たちは「√2がある」「数学は存在する」という信仰の下で、数学をしているのです。

 

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なんて、説得力のある話なんだ…!と思って、二十歳そこそこの私は、めちゃくちゃ感動したのでした。

 

数学は「公理」というものからスタートします。

自然数(1,2,3,4…)を構成するときも、「1の存在」等を、証明無しで認めるのです。

 

数学には、「なぜ?」を問わないスタート地点があり、そこから、論理で繋いで、定理や公式等の結果を導いていきます。

 

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名作「塩狩峠

塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠 (新潮文庫)

 

 主人公の中野信夫がキリスト教に目覚めていく様を、ありありと描いています。

 

とても有名な話なので、ラストについて書いてしまいますが、

列車事故に巻き込まれた中野信夫は、自分を犠牲にして、乗客全員を迷うことなく救うのです。

 

信仰に目覚め、誰もが「人格者」と認める人間になっていく主人公。

最終的に、自分の命と引きかえに、多くの人の命を救います。

 

驚くことに、この小説は実話を基にしています。

 

 

この物語から、私が感じたのは、

「私も、こんな素晴らしい人になりたい!」という感想ではなく、

宗教行動原理のことについて、です。

 

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どんな行動原理を持つべきか。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 ハーバード大学教授のマイケル・サンデルが語る、有名な例。

ロッコ問題を思い出します。

 

ddnavi.com

 

「トロッコ問題」とは――「暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」……つまり「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」という問題である。※(電車は止められず、線路上の人たちは逃げられない状況とする)

 

ベンサム功利主義的に考えれば「最大多数の最大幸福」を選択するべきで、量的判断をするので、「1人をひき殺す」が正解になります。

 

しかし、この答え、若干モヤモヤしませんか?

 

どんな行動原理を持つべきなのか。何が正解なのか。

 

「善とは何か?正義とは何か?」と気になってきます。

このような問いに対し、哲学者の方たちが、様々に考えを巡らせ続けているのだと思います。

 

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服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

 そして、ミルグラム実験アイヒマン実験)。

衝撃的な実験です。

 

ナチスユダヤ人虐殺を筆頭に、組織に属する人はその組織の命令とあらば、通常は考えられない残酷なことをやってしまう。権威に服従する際の人間の心理を科学的に検証するために、前代未聞の実験が行われた。通称、アイヒマン実験―本書は世界を震撼させたその衝撃の実験報告である。

 

↓実験内容の詳しくは、こちら。

ミルグラム実験 - Wikipedia

 

ある特殊な状況下の中で、ごくごく普通の人が、

「何の罪もない一般人に電気ショックを与え続けろ」と命令されます。

しかも、その電気ショックの電圧は、徐々に上げられていくのです。

 

通常の判断では、「そんなひどいこと、できない」と思えます。私たちは。

 

しかし、実験結果では、

実際の実験結果は、被験者40人中25人(統計上62.5%)が用意されていた最大V数である450ボルトまでスイッチを入れた、というものだった。中には電圧を付加した後「生徒」の絶叫が響き渡ると、緊張の余り引きつった笑い声を出す者もいた。

 

ある場の「権威」が確定されると、私たちは「自分の意志」「道徳的判断」を、「権威」へ委譲してしまいます。

 

これは、ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」を裏付ける心理学実験でした。

hentenna-project.com

 

このミルグラム実験の中で、「そんなことはできない」と途中でハッキリ断った人の一人が、確か、敬虔なキリスト教信者の方であったと記憶しています。

(図書館で借りて読んだため、手元に本がないのが残念…)

 

そのことが、塩狩峠の中野信夫に重なりました。

 

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宗教は、様々な行動原理を定めているようです。

(私は、お葬式のときにしか「仏教」のことを意識しない人間かつ無勉強なので、詳しいことはわかりません…)

 

「神?え?科学的根拠は?」なんて、そんな批判は受け入れません。

 

その在り様は、「科学」の土台となる「数学」に似ています。

 

数学は、まず公理から始めます。

無批判に受け入れます。証明不要です。

 

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日本では、嫌厭されることもある「宗教」ですが、とても歴史が長いですよね。

恐らく、本当に要らないものならば、今はもう、ないはずです。

 

でも、未だ、きちんと、存在してます。

 

その理由は、理系の私には、よくわかりません。

 

 

あくまで予想ですが……

 

社会を構成し、維持していくために、「ギブアンドテイク」のような功利的判断だけでは語れない「行動原理」が、やっぱり必要である。トロッコ問題が指摘しているように。

 

その「行動原理」を、できるだけ、現実社会に上手く適用できるようにするために、どのように定めるべきか。

 

宗教では、そうのような「行動原理」を、実に巧妙に定めているのではないのだろうか…

 

と思います。

 

数学が、「数学をおしすすめていく」のに適した「公理」を、巧妙に定めているように。

 

 

中野信夫の信仰に目覚めていく人生を概観し、そんなことを考えたのでした。